12.表現/オリジナリティ
歌えば歌になっていると思っている人、せりふに出せばせりふになっていると思っている人ばかりです。そういう人は、よくないところをどう直すのかを知りたいのでしょう。直したら、ましにはなりますが、表現としては、とうてい成り立ちません。そうでないの…
ビジネスに使うレベルなら、自分がなりたい人をまねてみてよいでしょう。半分くらいまでいけば、それなりに通じるからです。 しかし、アートにおいて、100パーセントまねても意味はないし、実のところ、決してまねられないものです。 歌手やトレーナーの声に…
よくわからないことの大切さを見直してください。 アーティストの魅力も声の魅力もそういったものです。 わかったら、そこで魅力はなくなるのです。 マニュアル読みは、すぐに飽きられます。 心身を込めた即興には、そこにリアルに生じた欠けがえのないもの…
「この子は音楽に興味があって、いつもピアノを弾いている」、という親御さん。そんなのは、個性でも才能でもなく、親の欲目でしかありません。10年も経たないうちにわかります。0.0001パーセント以下の可能性で天才が現れることがあるとしても、残りの99.99…
グローバリズムは、世界での競争において、拡大してきました。それに反するナショナリズムは、すでに「日本人である」ことで価値を与えてもらえるので、そのまま自己肯定できます。それで満足して引きこもりやすいのです。 文化や伝統も自ら学ばなくては身に…
いくら物事を知っても、現実社会との関わりに結び付けられなければ、ただの雑学です。クイズでいくら正解しても、ただ記憶の想起力です。 すぐに答えられること、思い出せることで頭がよいとはなりません。スマホの検索で済むのです。知識の量だけでは、これ…
小中学校で身長が伸びるとき、誰もが体に感じるように、自分の声が自分の声でないという違和感があります。男の子は、声変わりがあるので尚さらです。 思春期、自らの将来を考えたとき、それは、曖昧模糊として、スラスラとことばになるわけがないのです。 …
日本人の表情の変化があまりないことには慣れました。異常ではなく、普通のことになりました。 いろんな病名も増えています。病気ではなく病名です。それは、細分化されていることで、薬も多種多様になっていくわけです。 こうした根源的に病んでいる状態が…
「自己表現」などと言っていても、頭で決めて、いや、誰かに決められて誰かのストーリーにのせられているだけのものになっていませんか。 なぜ、歌やせりふが、そして、声がこんなにもワンパターンになってしまったのかと思うのです。まさに頭しか使っていな…
日本人は、作詞、作曲、アレンジでは、けっこう独創的なのに、歌い方や声は、驚くほど似ています。アーティストの作品としては、他の人のと同じようなのは、ものまねとして、タブーです。ですから違うように頭で考えられることに限っては、はっきりと異なる…
ライブは、即興。だからこそ、活きるのです。すでにあったことをくり返すのではなく、これからつくるのが、ライブです。 ですから、これまでのものをそのままくり返して再現することで、成り立っている文化へは、切り込むことになります。 すでにやったこと…
問われるのは表現で、お客さんは、呼吸法を見に来ているのではないということを知っていれば、トレーナーの言うことが絶対ではないとわかります。そしたら、その人なりに解決するはずです。表現が決めていくのです。それゆえ、大きな表現での大きな器づくり…
しかし、なぜ、人は歌わなくなったのでしょうか。人は音楽、歌を聞かないのでしょうか。 人間の声とは 生き物の声とは 問いは尽きない、ゆえに、声の研究なのです。 いつかわかるときがあるでしょう。 出会いの意味は、一瞬にして、世界の構造と営みを明かす…
「なぜ時代劇は滅びるのか」(春日太一著、新潮新書)には、歌謡曲と通じる問題が問われています。著者は、時代劇の凋落は、つまらなくなったTVによって1970年代後半、古臭い表現と高齢者向けのジャンルという固定観念が植え付けられたためといっているので…
20世紀になり、レコードやラジオで、プロの作品を聞けるようになりました。すると、これまで、音楽を素人なりにたしなんでいた人がやめてしまいました。周りの人もプロの演奏を買うようになったからです。お金で作品を買うようになったわけです。 次に、作品…
どんな歌もステージにできる日本の演出技術は、向こうから学んでそれを超えたと思います。とはいえ、未だ、形として見えるのは形としてつくりあげているからです。私は世界中、巡っているので、ディズニーシーでは、疑似的なパビリオンより、最初から人工的…
これまで歌について、本質を悟る人の不在を嘆いてきました。クラシックには酷評をする批評家がいました。ポピュラー、歌手、歌については、語れる人はあまりいません。批評とされるものを読んでも、紹介やそれまでの成り行きなど、PRといった方がよいものが…
アーティストなら、自分の正統性を主張したくなるものです。これだけのことをやってきたということからくる自信です。これがよいと本人が歩んだ、いや、歩まされたものを、他の人に押し付けるときに間違いが生じるのです。他人のノウハウ、過去のノウハウは…
「才能がある」という自信などは、才能のある人たちと仕事をしていくと消えてしまうものです。才能でなく、誰よりも時間をかけてやってきたからできるという、あたりまえの理由をつくっていくことです。やってきたからという理由なら、やっていけばできるよ…
個性的というなら、少なくても役者、歌手なら、昭和の時代の方が強かったでしょう。何十人で歌うような人を歌手と呼んでよいのかという時代錯誤な疑問は置いておきます。声一つ考えても、アーティストは違うものでしょう。 集団化、シンクロナイズにおいて、…
何人かの作曲家やアレンジャーと仕事してきたことは幸いでした。すぐれた作曲家は徹底して論理的な感性をもっています。作曲家のすぐれた作品を、日本ではそういうときに限って、あまり歌唱力のない、声質だけの女性ヴォーカルがくるので、現場は大変です。 …
アレンジャーは、アレンジで効果をつけるのですが、ヴォイストレーナーは声でやるのです。それは、ずいぶんとクリエイティブなことです。こう歌えばいいというのなら簡単です。そんな付け焼刃で通じるのなら演出家やプロデューサーに任せればよいのです。 可…
コミュニケーションとは、見知らぬ人、育ちや考えの違う人への説得ツール=言語となります。自分の考えを意識化して、言語化して伝えなくてはいけないから、言語=論理になるのです。 ステージも、この個と説得する相手としての客の対立図式です。通りで箱の…
基礎トレーニングについては、声楽をベースとした体、呼吸、共鳴、発声でよいときは、トレーナーに任せています。表現についての問題は、複雑です。今の日本では、さまざまな事情を加えると、なかなか判断ができないのです。 私は「声からの絶対基準」と「表…
解剖学や生理学の勉強をしても“身”につくものはありません。第一線のオペラ歌手やポップス歌手にそんな人はあまりいません。トレーナーとして人に教える時に、学ぶのはよいことでしょう。餅は餅屋に任せましょう。 歌うときは、頭を空にしないと、オーラ、集…
表現と基本ついて、私は、いつもヴォイトレの念頭において考えてきました。まとめたのを音楽之友社から発刊しました。ここでは、緻密に述べてみたいと思います。 一つのトレーニングをていねいに説明すると、これは何に根ざしていて、という基本と、これは何…
以前、黒人トレーナーとワークショップを行なったことがあります。そのとき、彼は、インプロの即興劇から入りました。勉強して、歌いこなすためにステージに立つという日本では、インプロの大切さは、気づきにくいということなのでしょう。今はプロでも、カ…
「みんなは」「まわりは」「トレーナーは」ということに関して、大半のことは、受け入れておくだけでよいのです。それよりも、「私はー」が肝心です。それを導き出さなくてはなりません。アプローチとして、他の人や他の作品から好ましいものを選んでみまし…
表現の創造の厳しさを知ってか知らずか、多くの日本人は目をそらし、習得に満足する方向にいきます。 音楽は楽しいもの、楽しむもの、確かにそうです。それゆえ、私も関わり続けています。 しかし、同時に厳しいものです。表現が、その名に足るとしたら、我…
「あなたはどうして、そう弾きたいの ことばで語ってごらん」 (アイザック・スターリンのレッスンより 諏訪内晶子さん) 「日本の音楽家は、『先生の言われた通り』としか答えない。 「なぜそう弾くか、ことばで説明できる人は少ない。聴衆も情緒的で語るこ…