体の動き一つ、呼吸も、歌や発声に対して、本当に正しいというものは、体でなく感覚と実態です。これは、自分の内部で厳しく感じます。感じられるように高めていくしかないのです。
先日、ストラディバリウスについて、「かつてはオリジナルのと、形、木の厚みを同じにしたから同じ音を再現できなかった。今は木の特質に合わせ、同じ共鳴をする形や厚みに変じさせているので追いついた」というような話を聞きました。目的は同じ形のものをつくるのでなく、同じ音声をつくることですから、自明のことです。参考にしてください。
(参考)
ストラディバリウスと声
これまで、現代のヴァイオリンと音を弾き比べたときに、すぐれた聞き手でも2~5割くらいしか、当てることのできなかったのがストラディバリウスです。それでも、演奏家には絶対的に人気があるという秘密を知りたくてみました。
一流のヴァイオリニストにおけるストラドの評価は
1.音色が澄んでいる
2.粒が揃っている
3.芯がある
です。これは声や歌にも通じます。
NHKの番組での科学的な分析では、方向(指向)性があるということでした。それで、豊かで遠くまで深い音色が伝わるということでした。
新しく最高のヴァイオリンをつくるのに、形をそのままにまねても同じにはならないので、板の振動(密度)からアプローチして、近づけていったというのは、音から考えてみれば当たり前のことでしょう。つまり、同じとか、近づけていくよりは、もはや、木ではない素材をも試し、最新の研究でというなら、その形を超えるものをつくるべきなのです。しばらくは追いつけ追い越せでの技術開発が目標なのでしょう。
ヴァイオリニストが弾き、それをすぐれて聞くことのできる人がストラドをもとに判断している限り、ストラドのような音は超えられないのでしょう。それと、ストラドの音で名手のように弾きたいという人間の欲が囚われとなります。車はすでに全自動運転できるようになっているのに、自らの手で運転したいという人間の欲がそれ以上の発展を妨げていたのと似ています。
何をもってすぐれたと音というのか、演奏というのかを、原点から考えるべきです。とはいえ、聴覚の世界では、そこの状況、ホールや音響などの影響もあり、アプローチは至難の業です。もっともすぐれた楽器をもとに考えざるをえないのでしょう。
演奏において、もっともよい音を目指そうとすると広すぎるので、ヴァイオリンというワクで絞り込むのでしょう。シンセサイザーでどんな音をつくることができても、ヴァイオリニストやピアニストは、不滅の存在でしょうか。
名楽器は、もっともすぐれた演奏家と、もっともすぐれた耳を持つ人と、もっともすぐれた楽器のつくり手という3つの条件がそろわなくては不可能です。ただ、もっとも大切なのは、それを判断できる聴衆の存在です。
楽器として、生きたままの人間の声帯とか体というのは、木などよりももっと難しいわけです。声や歌の解明がまだまだ進んでいかないのもやむをえないことですね。