私は一流のバイオリンを入手しないと、一流のバイオリニストになれないとは思いません。一流なら、一流のバイオリンで演奏した方が映えるでしょう。
ストラディバリウスという名器をもつと、その想いや伝統の重さで演奏がよくなるという、メンタル効果があるでしょう。しかし、一流なら、どのバイオリンでも人を感動させられるでしょう。
普通は、一流とか天才にはなれません。本人の感覚で自分という楽器を知り尽くしていくことです。調整して、声、せりふ、歌にする努力を優先するのです。
人間は機械ではありません。ロマのジプシーのバイオリニストは、ボロボロのバイオリンでストラディバリウスに引けをとらない演奏をします。音と自分のつくりあげる世界と、自分のもつ楽器を知り尽くしているからです。
4人メンバー集めないと、ロックバンドができない、というところから考えてしまう日本人には、わかりにくいことでしょう。
でも邦楽で、例えば尺八は、まさに本人が作るのです。声明、読経などでも、あるのは、ゆるやかなルールです。日本の声楽の限界は、追いつき追い越せに、また戻りつつあるということです。ポップスでも同じように、1980年代とか1960年代の回帰ブームのようです。