私は「――しなさい」「――するな」は言いません。それは強制で、「それ以外してはいけない」という禁止です。子供のような生徒でも、子供扱いすると子供のままになります。自由奔放な幼児に戻せるならともかく、自由を失った子供に、声や歌まで受験勉強のようにさせてどうなるのでしょう。
トレーナーの自己満足のためでは、高校の管理野球のようなものです。日本の合唱団もそういう体質でしたが、義務教育の一環と、アートや大人としての場は違うとしましょう。
「教育したがる人―教育を受けたがる人」の絆は、強いのでしょう。
教えたい人の熱意はよいのですが、それが、相手の呼吸や意志をコントロールしてしまうのです。心身を緊張させた状態においてしまうなら、さらに問題です。レッスンでリラックスさせていると、本番であがってしまうようになりかねません。
声を声で教えるのです。怒った声や命じた声は、悪い見本でしょうか。役者や声優は、そういう声も使うので参考になるかもしれません。一人の人間にいろんな声があることを学ぶのはよいでしょう。そういう意味で声の表現力の弱いトレーナーは、別に見本をとるようにすることです。