勘というものが「やっていない人のなかではよいと思われても、大ざっぱによいだけで、そのうち(続けて学べている人のなかでは)よくなくなる」のが普通です。子供のころは天才、大人になるにつれ皆、凡才になるのです。日本の教育では平均化を強いるのでそうなりがちですが、ヴォイトレも似たようなものです。
トレーニングやメニュでどのようになるかというのは、トレーナーの処し方によります。このプロセスをみてみましょう。すると、大体は同じように「勘の悪くなること」が起きているものです。それを避けるために、他にはない研究所としての総合的な機能をバックグランドで働かせているのです。