ヴィジュアルの次におかれる難題は、トレーニングという、本来、自己目的化してはいけない特別なもの(期間、プロセス)のあり方です。
私は野球での、天才型の長嶋茂雄さんと秀才型の野村克也さんとの比較で例えます。「来た球を打つだけ」「こうきたらコーンと打つ」というイメージ言語中心の長嶋さん。これは松井など同じく天才型のバッターにしか伝わらないでしょう。こうきても、こう打っていない人が多いのです。でも、プロ野球選手はエリート中のエリートですから、通じるところもあります。勘、理論、データベースを加えて、指導法から人生哲学にまで結びつけたのが野村さんです。相手打者の研究を徹底して指示する捕手と、野性の勘と派手なパフォーマンスで客を興奮させるサードとの違いでもありました。
野村監督がストライクゾーンを8×8の64に分けました。ピッチャーもそのときは考えていても、そのデータの蓄積から出てくるものは知らないのです。そこで野村さんの術中(読み)にはまるわけです。
私は、かなり前に、この8×8の考え方を、声にあてはめて述べたことがあります。私のような素人では、せいぜいストライクゾーンといってもバッティングセンターやゲームセンターなどにある3×3の9のマップしかないのです。それを8×8=64で区分けして捉えるのは、よりていねい、繊細なコントロールや判断が必要とされるということです。もちろん、3×3でコントロールできないうちは、8×8は無意味ですが、その先の世界を意識づけしておくのは有意義です。そして、レッスンやトレーニングを次元アップさせる感覚の意識的基準になります。