最初には勘のよかった人が、続けているうちに勘が冴えなくなる、悪くなるケースは少なくありません。むしろ一般的です。そうならない方が例外といえます。声や歌では、それが顕著です。元より自分の評価も他人の評価もあいまいだからです。
レッスンの目的の一つは、トレーナーに評価をしてもらえることです。しかし、その基準があいまいでは進歩は望めません。アートという何でもありの世界で何を評価としてとるのかは、難しいものです。本人の満足か、客の満足か、どちらにしても曖昧なものです。受けを狙って急いでは雑になります。
その評価がトレーナーだけの満足に終わってはなりません(トレーナーの評価の問題は、以前に詳しく触れています)。
価値観を一致させないところにレッスンは成立しないのです。そこでトレーナーは一本の仮の道を示します。そこをプロセスにするかを問います。それをどうとるかがトレーナーの価値です。