小泉文夫さんが「外国人が日本の古典、あるいは、伝統芸能を学びにきたら、案外と早く学べるだろう」ということを述べていました。いくつもの流派を、これまでの日本の師匠たちの不文律を超えて横断的に学ぼうとするし、師も外国人だから、わかりやすく説明するからと、私もその通りに思うのです。
「なぜそれをやるのか」という根源的な問いは、その世界やそこの第一人者に憧れて、手習いから入っていく後輩には発せられないし、無用でしょう。一芸を一つの流派で一人の師から継承していく、幼い頃から長年にわたり究めていく人は、中心にいるほど、そういう発想はないのです。日常的に慣れ親しんできたことが、芸となりゆくからです。
それに対し、外側からくる人はよそ者ですから、客観的にも批判的にもなれるのです。そのため、よい批評家、評論家、あるいはトレーナーになれるともいえます。「なぜやるか」は哲学で、「どうやるか」はメソッドです。