まじめな先生は、自分が時間をかけて努力をして得てきたので、その時間と努力を相手に課そうとします。それは正当な方法ですが、相手が自分と同じようなタイプでなければ通じません。また、そうであってもなかなか自立して進むところには至りません。
なぜなら、それで進められる人であれば、すでに自分でやっているからです。
それができないから来たのであれば、家庭教師やレッスンのように、その人が軌道に乗るところまでお手伝いしなければなりません。ですから、スクールが成り立つわけです。
それと先生が自分自身よりも早くとか、自分よりも優れるようにしてこそ、教えたということだと、私は思うのです。