私は、自分=表現=歌=音楽を一つの声として一貫させるのを理想としています。真のアーティストなら、しゃべればせりふであり、歌であり、音楽であり、そのまま作品であり、芸術であるのです。そのために必要なのが基礎トレーニングです。結局は、応用において、どれかが通じていたらOKという現実の判断を強いられるようになりました。
声がすべてでないので、歌がOKならよい、表現がOKならよい、という判断も必要です。でも声がOKではだめです。トレーニングや体づくりは基礎で、それがOKになるのは器づくりや可能性としてのプロセスです。
問われるのは、切り取った作品として歌や音楽という表現です。いくら人間としてよい人でも、歌がだめなら歌手としてだめなのです。