文明が発達すると声は小さくなります。子供が大人になるように、です。プリミティブな社会で不可欠だったのに、文明が進むと声は大きく出さなくなります。それと、大きく出せなくなるのは異なります。でも使わなくては衰えます。
声の大きさは声の要素で、必ずしも大きな声がよいのではありません。しかし、トレーニングでは大は小を兼ねます。大きくしか出せない声はよくないし未熟ですが、大きく出せて小さく使うのが、本当の芸に欠かせない技術です。
それは、器と丁寧さとの関係です。大きく出せるという器で細かくメモライズして丁寧に使うのです。
マックスは使いません。マックスの想像つかないという、底の見えないところ、それがバックグランドとしてあるから魅力となるのです。
その懐の深さをもって、きめ細やかに声量の差、メリハリをつけていきます。ミニマム、ピアニッシモの声でもきちんと伝えられるように出すのです。声量は力でなく、力があるから、力を出さなくて声量となるのです。そのために呼吸、発声、共鳴を学ぶのです。
声量は、今の日本人のもっとも不得意とするところです。マイクでカバーしてしまうため、声質(音色)とともに忘れられつつあります。声の魅力をもてず、ダイナミックにコントロールできないので、世界レベルへ達しないのです。
カラオケがハイトーンの競争に陥ったように、発音や高音(声域)というわかりやすい低レベルの基準でヴォイトレも使われているのです。
声量、音色に比べ、声域、発音は、大したことのない問題です。原曲キィで、プロのように歌おうとするから問題が生じるだけです。そればかりにこだわっては、本当の個声を追求できず、才能も磨かれずに終わりかねないのです。