シンプルなトレーニングメニュでは、その単調さに飽きる人もいます。そのことを無意識に際限なくくり返していくと、意識は次のレベルのものを捉えようとします。少しずつ深まります。より細やかに丁寧に、しぜんと大きく深くなっていきます。それを狙ってのことです。そこまで待てるのかという忍耐力か感覚かを試されるのです。
メニュをこなして次のメニュにいくというのは、メニュをやっているだけです。何の意味もない。それでも、あとで、くり返してみて気づきやすくなるので、一通り、どんどん進めるのは、アプローチとしては悪くないのです。その場合、一通りやり終えた後で、必ずもう一度詰めて行わなければ何にもなりません。
与えられたメニュをやることで、知らずと自分の感覚を殺している人も多いように思います。それによって自の分の感覚を解放し、気づきを得なくてはいけないのに、どうしてでしょう。
一つには、生徒はトレーナーから教えられる関係だと思うからです。トレーナーがメニュを教えるのでなく、生徒がメニュで気づかなくてはならない。そこでは、トレーナーは私心を入れず、公平に仲介することに専念することです。よかれと思って、自らの思惑で邪魔してはよくないのです。せりふのしゃべり方、歌い方を教えるとなると、尚さらのです。形だけのレッスンになっているのに気づく、そしてそこから意味を問うことです。