他人を通じて、自分をみるのがレッスンの利用法です。
トレーナ―に関する評判にやたら関心をもつ人もいます。神のようなトレーナーを求める人もいて、これもそういうタイプの一つです。それは、トレーナーに関心をもっているようでいて、自分にしか関心のない人です。トレーナーのよし悪しばかりが気になり、レッスンそのものに身が入りません。期待が大きすぎ、いつもトレーナーの選択への迷いやレッスンの内容の評価で揺れてしまうのです。
このトレーナーは信頼できるのか、このトレーナーを選んでよかったのか、トレーナーのことばや態度、やり方、進め方のよし悪しの印象に振り回されます。それは、うまくいかないとしたら、トレーナーのせいにしたいからです。
期待だけして、自分で勝手に期待外れにするのは、そのトレーナーでなく、本人の思考回路のせいですから、自己責任です。トータルでみると、そのトレーナーで、とても伸びた人、よくなり続けている人もいるのです。
ここのようにトレーナーを本人が選べるところでは、競争原理も働くから、無能なだけのトレーナーでは失業してしまうでしょう。
自分は、そのトレーナーと違うなら、何がどう違うのか、どう合わないのか。合わないとしたら、その前提としている自分の判断に対して疑問をもたないのは、なぜでしょうか。判断する自分の基準ということを考えるのによい機会でしょう。