他の人と合わせるための耳の力、発声の力を最低限の音楽的基礎力としてつけます。
周りと比較しやすいと自分のことが分かるのでヴォイトレにくるのです。周りと比較するというのは、日本人の場合、周りが皆似ているために、それに合わせようとしてしまいがちです。「類は友を呼ぶ」も「朱に交われば赤くなる」は、あまりよい意味ではありません。多くは、日本のミュージカルのように、宝塚のように、なるのです。日本のシャンソンやジャズのように、なるのです。批判しているのではありません。ファンはそういう世界が好きですから、ファンの色に染まるのです。でも、逆ではないでしょうか。
その中にも、かつてはそういう分類にとどまらない、個として発色するスターがたくさんいました。オペラ、シャンソン、カンツォーネ、ラテン、エスニック音楽、日本にも、お笑いから踊りまで、世界のものを取り入れた時代があったのです。今はどうでしょう。
この二重構造が、オリジナリティの発掘、創造、評価を難しくしています。反面、どの分野も、どこかの国の大使のようなプロデュース型―あるいは翻訳型のアートが、日本では評価されやすいです。初めて持ち込んだ(初めてつくったのでなく)のが、第一人者になるのです。