武道は、師が先をとり、弟子は師に追いつこうとしていくので、このプロセスがわかりやすいです。ですから、師に負けてばかりいても充実感を得られるのです。そのわかりやすさは、うらやましくもあります。
最終的には、師でなく自分の先にあるもの、それは、人間の元にあるものですが、そこへ辿り着くことでは、同じです。
ただ今の日本人の声やヴォイトレは、そんなレベルには到底ないわけです。バランスを変えた上にのっけたのが、せりふや歌唱ですから、早々に限界がみえるのです。
つまり、追って辿りつこうとする人が少なすぎるのです。まねて似てきて満足してしまい、そこで止まる人が大半なのです。
一見、理想を追い、まねていくようですが、自己という実=身をおいたまま他人になろうとしているのです。それなら、自己流でも5+1、5+2としていく方がましというものです。