私としては、声楽メソッド、世界中の民族が使ってアプローチできる、しかも、ハイレベルに実績をもつ、そのオリジナリティには敬意を払いつつ、オペラだけでなく、声を使うすべてのことの基礎として、ヴォイトレをおきたいのです。そうでなければ、その存在意味が希薄になるからです。私にとっては、です。
日本人の大人に日本語を教えるのでなく、かといって外国語を教えるのでなく、どちらも応用できる万能ツールとしての声を伝えたいのです。それは、確かにあるのに、ないような分野、例えば、表情、笑顔、マナーなどと似ています。