どんな問題も、質問してくる人と答える人の関係において、成り立つ、あるいは、納得のあるということでしょう。そこに、いちいち立ち入るつもりはありません。聞いて満足してモチベーションが上がったり、すっきりするのであれば、それでもよいでしょう。そのあたりに知としてこだわるのはどうかと思いますが。
そういうことにこだわると、「科学的にありえないことは、存在しない」「説明のできないことは間違い」のように思いかねないからです。
何事でも解明されていないことの方が多いのです。
ですから、「発声やレッスンはすべて完成されていて、すべてわかっている。そのまま覚えていけばよい」というスタンスこそが危険です。科学としても、もっとも不実です。そこには、元より限界があるのです。
説明できないこと、わからないことの方がずっと多いのです。説明できること、わかっていることが大切で、そうでないことは大切でないのではありません。逆なのです。