喉をならすのでなく、なっているとしぜんと呼吸も長く使えます。だから「ならすな」というのです。
「喉を開ける」これもイメージ言語ですが、そこで「締めろ」というトレーナーもいます。まったく逆のことのようですが、私からすれば、同じことです。喉はあるのですが、それを「ないものと思え」というのも同じです。
健康でなくなると体がそれを意識します。痛みがあると体の存在を知ることになります。風邪で喉が痛いときに喉があるのを知ります。すべてあるのは、調子の悪いときです。ですから調子がよいときは消える、意識できないのがよいということです。
喉も顔も体も呼吸法、発声法、声も歌もなくしてしまうのです。なくせといっても、なくならないのです。そこで意識して、存在を確認します。それがレッスンであり、トレーニングのプロセスです。その後に意識をなくす、なくなったときによしとするのです。