声や歌の判断を、ことばで述べるのは難しいのですが、ことばが使えないのはトレーナーとして失格と私は考えるので、伝える努力をしてきました。10年くらい経つと、それまであまり馴染みのなかったジャンルの歌にも、私自身の判断ができてきました。ことばも使えるようになってきたのです。
そのことが、ことばによってわかるようになります。新しいことばが生まれて、アーティストのクリエイティビティにトレーナーとしてのクリエイティビティが追いつきます。そして、いつしか追い越していったようです。
「こう歌えばよい」と見本のようにみせるのは、アマチュア対象、カラオケ指導ですから、そこはプロの歌手、あるいは、歌唱としてプロレベルの歌手を連れてきて行えばよいのです。
プロの歌手に対しては、何でも歌えてしまうので、それよりも、より聞かせるためのあらゆる可能性を一緒に探ることを優先します。声のフレーズを一つのタッチとして、誰かがみせても、それが正解のようになる、あるいはそれをみているうちに、気づかないままに、そこに従属されてしまうなら、よくないのです。
つまり、形としてできているようにみえても伝わらないのです。形から実を入れていくこともありますが、大体は小さく形を作ってしまうことで、実が入らなくなるのです。先に、ベースとして実を育てることです。
ヴォイストレーナーとか歌のレッスンを好ましく思わない否定論者は、この点をついてくるわけです。いくつかのタッチを参考としてみるのはよいことです。加えて、一流の歌唱のフレーズを同曲異唱で、ベースとしていれると有効です。即効でなく、後で効いてくるからです。本当の差はそこで埋め込んでおくことからです。